1947 - 1976

  • 1947年

    • 9月8日
      ベンジャミン・オール(Benjamin Orzechowski) オハイオ州レイクウッドで誕生

      両親はロシア、チェコ、ドイツ系。ベンは "Benny 11-Letters" (苗字が11文字のベニー) の愛称で、音楽少年として育つ

  • 1949年

    • 3月23日
      リック・オケイセック(Richard Otcasek) メリーランド州ボルティモアで誕生

      父はNASAの技師。家族はのちにオハイオ州クリーヴランドへ移住。

    • 4月2日
      デイヴィッド・ロビンソン マサチューセッツ州 ウォーボーンで誕生
  • 1952年

    • 10月22日
      グレッグ・ホークス メリーランド州フルトン(Fulton)で誕生
  • 1953年

    • 12月18日
      エリオット・イーストン ニューヨーク州ブルックリンで誕生

      エリオットは後に高校を卒業すると、ボストンのバークリー音楽院へ

  • 1964年

    • 2月9日
      エリオット少年10歳。ビートルズに目覚める。

      この日、ビートルズがアメリカのテレビショー『エド・サリヴァン・ショー』に初出演し5曲を演奏。 この回の放送は視聴率は驚異の73%といわれ、アメリカのビートルズ旋風もより一層大きくなっていった。 [14]

      エリオット:人生が変わるにはいいタイミングだったんだ。エド・サリバン・ショーで ビートルズを観るにはちょうどいい年齢だったんだよ。1964年2月9日のあの夜、彼らを観て眠れなかったよ。興奮し過ぎてね。 [15]
      エリオット:52 years ago tonight, I found out what to do with the rest of my life. It actually worked. Thanks, Boys. [16]

    • The Grasshoppers
      ベン 高校を中退して音楽活動を始める。クリーヴランドのローカルバンド グラスホッパーズ (The Grasshoppers) に リードシンガー、ギターで加入。

      バンドは地元テレビショー UPBEAT のおかかえバンドとしても活躍

    • グレッグ少年11歳。9月13日にボルティモアのシビックセンターでビートルズのライブを見る。 [12]

      この頃すでにピアノ、クラリネットを習っていたグレッグは、初めて見たビートルズに影響を受けてギターも 習い始めたという。

      グレッグは後に高校を卒業すると、ボストンのバークリー音楽院へ

  • 1965年

  • 1966年

    • The Grasshoppersはバンドメンバーの徴兵などにより解散。その後ベンは Mixed Emotion など他のバンドで活動。

      のちにベンも徴兵されたが、およそ1年半ほど猶予されたらしい (で、行かずに済んだ?)

  • 1970年

    • デイヴィッド 働いていたレコード店で、ドラムとベースの募集広告を貼りにきたジョナサン・リッチマンと出会い、 ドラムで彼のバンドに加入[1]。バンドは The Modern Lovers となる。
    • ベン 1970年辺りにオハイオ州コロンバスに移り住む。その頃にリック・オケイセックと出会い、 ともに音楽活動をすることとなる。

      リック18歳くらい、ベン20歳くらいのこと。

  • 1971年

    • The Modern Lovers image
      The Modern Lovers 結成時のベースとギターが抜け、ベースにアーニー・ブルックス、 キーボードにジェリー・ハリソンが加入。初期黄金メンバーとなる。
      地元ボストンで人気を得たThe Modern Lovers に レコード会社、ワーナー・ブラザーズが声を掛け、 ボストンのIntermedia Studios でレコーディングセッションを行う。
  • 1972年

    • この年にリックはボストンへ移る。後にベンもボストンにやって来る。

      リック:72年に初めてボストンへ行った時、最初に見たのがモダン・ラヴァーズなんだ。 ザ・コモンで見た[2]

      • リックとベン Jas Goodkind とフォークバンド MILKWOOD を結成
    • 4月
      The Modern Lovers はロスに行き、ふたつのデモセッションをレコーディングする。
      ひとつはワーナーの元で、リッチマンが心酔するThe Velvet Underground の元メンバー、ジョン・ケイルのプロデュース。 もうひとつはA&Mの元で Alan Mason のプロデュース。その他ライブやギグを行う。

      このふたつのセッションと1971年にボストンで録ったセッションは不運なことにすぐのリリースは見送られるが、 のち1976年に彼らのファーストアルバムとしてリリースされる。

    • 6月
      プロデューサー Kim Fowley がボストンに来て、The Modern Loversのデモを録る。

      こちらの音源はのち1981年にBump Records からリリースされる。

    • 12月31日
      ニューヨークのMercer Arts Centre で The Modern Lovers がThe New York Dolls などとライブ。他にはSuicide, Wayne Countyも出演。 [3]
  • 1973年

    • The Modern Lovers ついにワーナーと契約をかわす
    • The Modern Lovers のジョナサン・リッチマン、バンドの仕事で短期滞在したバミューダで現地の音楽に触れ、 自らの音楽性の変化を自覚。それが徐々にメンバーとの亀裂に発展していく。

      現在のジョナサン・リッチマンらしい、アコースティックでほのぼのとした独自の音楽性が目覚め、次第に彼は これまでのパンクなThe Modern Loversの曲を演奏したがらなくなった。

    • 9月
      The Modern Lovers はケイルとのレコーディングのため再びロスへ。しかしケイルとのレコーディングではほとんど録音を残せずじまい。
      続いてキム・フォーリープロデュースの元、再びレコーディング。そこではマシなものが録れたらしい。

      しかしすぐにリリースされることはなく、ワーナーのサポートも立ち消えてしまう。 レコーディングのマズさはジョナサンの方向転換ゆえのもよう。この時のデモ音源も後にリリース。

    • デイヴィッド The Modern Lovers を脱退(初期メンバーのThe Modern Loversは翌74年に解散)
      デイヴィッドはロスに移り、バンド The Pop などで活動。

      ロスで過ごした頃から、デイヴィッドのアート収集が始まったらしい。左腕のタトゥーも1973年にロスで入れたようです。

      David Robinson image 写真は2011年当時のデイヴィッドの左腕アップ。"L.A.73" とあります。

    • MILKWOOD 'How's The Weather'
      MILKWOOD がパラマウントよりアルバム How's The Weather をリリース

      このセッションには、サックスでグレッグ・ホークスが1曲参加している[4]

  • 1973年- 1975年

    • リック、ベン、グレッグ(何人組グループだったのかは未確認)バンド Richard & The Rabbits を結成して活動

      このバンド名は、同じくボストンを拠点とするThe Modern Lovers のジョナサン・リッチマンが名付けた。 [5]

      リックとベンは Ocasek and Orr というデュオでも活動
    • この頃エリオットがリック、ベン、グレッグを知り、共に音楽をやることを希望。

      エリオット俺が最初に君達(リック、ベン、グレッグ)を観たのもリチャード&ラビッツをやっている時だ。 (中略)とにかくあの時、彼らの演奏を観て衝撃を受けたんだ。当時、地元のバンドはほとんど、ブギーやギターのリフ中心の曲を やってた。でも、彼らはポップソングをやっていて驚いたんだ。[6]

    • 後にリック、ベン、エリオットとドラム、ベースの5人組(時に6人組?)でバンド Cap'n Swing として活動を始める。

      グレッグは Cap'n Swing にいた時期もあったようだが、他のバンド活動のため一時的にリックとベンのバンドから離れる。 俳優・コメディアンで音楽活動も盛んだったマーティン・マルのバンド Martin Mull and His Fabulous Furniture でも活動した。
      1975年頃リリースのアルバム Days Of Wine And Neuroses にグレッグの名がクレジットされている。

      マーティン・マルはレコードも多数出しており、言えないことをハミングして歌う 「ハミングソング」などは秀逸。 俳優としては1993年「ミセス・ダウト」、2010年アシュトン・カッチャーの「キス・アンド・キル」などが有名。

    • 2年ほどロスにいたデイヴィッドは、ボストンに戻ってくる。
  • 1976年

    • 初め頃
      デイヴィッドはジョナサン・リッチマンが結成し直した新しいThe Modern Lovers に戻るが、ジョナサンの音楽性はすっかり変わっており、 レコーディング後、短い期間で再脱退。

      この再加入から再脱退の間に、1976年リリースの Jonathan Richman & the Modern Lovers をレコーディング。

    • Jonathan Richman and the Modern Lovers(1976)
      5月
      上記のアルバム Jonathan Richman & the Modern Lovers リリース
    • 6月頃
      デイヴィッドはドラムを探していたボストンのガレージバンド DMZ に加入。

      数ヶ月をこのバンドで活動するが、その頃リック・オケイセックからバンドに誘われ、10月頃に DMZ を脱退。 [7]

    • DMZ 'Radio Demos'
      7月
      ボストンのラジオ局 WTBS で DMZ のライブ収録。 19年後 この音源が The First Time 及び Radio Demos としてリリースされる。
    • 8月
      Cap'n Swing は初のレコーディングを行い、幾つかのデモを残した模様。その時のメンバー記述を以下抜粋。
      • Glenn Evans-drums,
      • Elliot Steinburg-guitar(後のElliot Easton),
      • Ric Otcasek-guitar,
      • Todd Roberto-alembic bass,
      • Benn Orr-vocals only,
      • Danny Schliflin-fender rhodes[8]

      デビュー前のカーズのデモテープをラジオで掛けヒットのきっかけを作ったDJ、Maxanne Sartoriの1999年ライナーノーツによると、 Sartori は1976年にCap'n Swing のステージを聴いて気に入り、"Strawberry Moonlight" と"Come Back Down" を 自分のラジオ番組で掛けていたものの、バンドは成功せず。とあるエージェントに言わせると、Cap'n Swing は 「年は取りすぎ、見た目も変すぎて、ちぐはぐな感じ…」であったらしい。[9]

      エリオット (業界人向けのギグで)彼らに言われたんだ。『君たち、曲もいいし演奏もいい。でも、ヴェルヴェッツみたいなヤツもいれば、 グレイトフル・デッドみたいなヤツもいて、パッと見 訳がわからないよ。』ってね。[10]

    • The Modern Lovers(1976)
      8月
      ジョナサン・リッチマンがソロ契約したカルフォルニアのレーベル、ビザークレーから、お蔵入りになっていた 初期メンバーのTHE MODERN LOVERS デモ音源を集めたアルバムがリリース
    • DMZ 'Live at the Rat'
      9月28日
      DMZ がボストンのクラブ Rat でライブ。その時の音源は1995年 Live at the Rat としてリリース。
    • 秋か冬ごろ
      Cap'n Swing 内では種々の人事異動あり。
      リックは書く曲の方向性をもっとパンク寄りな新しいものに変え、元々いたベースとドラムと離れる。 楽器は弾かずヴォーカルのみを務めていたベンがベースも弾くようになる。 ドラムにはリックが誘ったデイヴィッドが加入。キーボードには他バンドのツアー活動が終わったグレッグが戻る。

      加入前 DMZ で叩いていたデイヴィッドをリックがバンドに誘った時、Cap'n Swing の"Strawberry Moonlight" の テープを渡してきたそうです。 [13]

      2000年のインタビューで、グレッグが「僕はこのバンドに最後に入ったから」と言っているので、以前からメンバーとの 活動はあったものの、正式にグループに加わったのはデイヴィッドより後のようです。

    • ついにこの5人が集結 The Cars の結成

      バンドを"The Cars" と名付けたのはデイヴィッドの発案

    • 12月31日
      (DJ、Maxanne Sartoriのライナーノーツによると) この大晦日にカーズ初のライブがニューハンプシャーの空軍基地で行われる。 [11]

【脚注一覧】

  1. 1970年 ジョナサンとデイヴィッドの出会い
    about David :Fine Line - David Robinson Fan Site
  2. 1972年 リック ボストンへ
    the cars live:カーズ ライヴ・イン・ブレーメンDVD 2000年バンド・インタビューより(日本語訳版)
  3. 1972年 The Modern Lovers 大晦日ライブ
    New Year 1972/3 New York Dolls/Modern Lovers session :modernlovers.com home page
  4. 1973年 グレッグ Milkwoodのアルバム参加
    The Cars 1995年リリースJUST WHAT I NEEDED:Anthology (Rhino/Elektra #73506) ライナーノーツ 6ページ(Brett Milano 寄稿)
  5. 1973-75年 ジョナサン名付け親
    The Cars 1995年リリースJUST WHAT I NEEDED:Anthology (Rhino/Elektra #73506) ライナーノーツ 6-7ページ(Brett Milano 寄稿)
  6. 1973-75年 エリオットの発言
    the cars live:カーズ ライヴ・イン・ブレーメンDVD 2000年バンド・インタビューより(日本語訳版)
  7. 1976年 デイヴィッドDMZ在籍期間
    the band/line-ups :Right Now! The Lyres
  8. 1976年8月 Cap'n Swing デモ録音とメンバー
    cap'n swing :myspace
  9. 1976年 Maxanne SartoriとCap'n Swing
    The Cars 1999年リリースTHE CARS:Deluxe Edition (Elektra #75700) ライナーノーツ 3ページ(Maxanne Sartori 寄稿)
  10. Cap'n Swing 見た目にがっかりされる
    The Cars 1995年リリースJUST WHAT I NEEDED:Anthology (Rhino/Elektra #73506) ライナーノーツ 8ページ(Brett Milano 寄稿)
  11. 1976年 12月31日デビューライブ
    The Cars 1999年リリースTHE CARS:Deluxe Edition (Elektra #75700) ライナーノーツ 3ページ(Maxanne Sartori 寄稿)
  12. 1964年 グレッグ ザ・ビートルズに目覚める
    Cool hand uke:The Cars' Greg Hawkes does the Beatles(グレッグへのインタビュー)
  13. 1976年 リックがデイヴィッドをバンドに
    Exclusive interviews for The Cars(Greg Hawkes and David Robinson) : Toyota Presents Legends & Icons (インタビューは2011年 再結成アルバムMove Like This リリース当時)
  14. 1964年 2月9日ビートルズがエド・サリバン・ショー初出演
    The Day the Beatles Changed the World, By Dave Swanson (February 9, 2016) :ULTIMATE CLASSIC ROCK
  15. 1964年 2月9日エリオット The Beatlesに目覚める
    「beatleg magazine」2015年1月号 190ページ
  16. 1964年 2月9日エリオット The Beatlesに目覚める
    @ElliotEastonEE 2016年2月10日11:15 :Twitter(エリオット公式ツイッター)
  • アルバム・シングルのリリース日程
    日付に関しては、The Cars 1995年リリースJUST WHAT I NEEDED:Anthology (Rhino/Elektra #73506) ライナーノーツ記載のエレクトラ・データを参照。よってアメリカベースの日付。
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