2000 - 2005

  • 2000年

    • 4月頃
      ベンジャミン・オール 膵臓に腫瘍が見つかり入院したことが公表される[1]

      この時すでに癌はひどく進行しており手術もできない状態であったそうです。 ベンは退院後、Big Peopleのライブを続ける事を選択。当時の事をメンバーのジェフ・カーリッシは こう振り返ります。

      ジェフ・カーリッシ ベンはロックし続けたんだよ。診断結果が出た時から、ベンは俺達に最期までライブし続けたいと話した。 『もしある日倒れて自分で立ち上がることが出来なけりゃ、それが最期だってわかるさ。』って言ったんだ。 [2]
      有言実行。バンドは夏の間、アメリカ各地をライブして廻りました。

    • CCRev Elliot
      4月24日
      エリオットが参加するCreedence Clearwater Revisited がこの日にロスのHouse of Blues でライブ

      この日のライブ動画が18曲アップされています

    • 倉木麻衣 'delicious way'(2000)
      6月28日
      グレッグが編曲に関わった、倉木麻衣の1stアルバムdelicious way(デリシャス・ウェイ)が国内で発売。
    • 8月
      1988年の解散以来およそ13年振りにメンバー5人がアトランタに集まり、発売予定の1978年ライブ映像集の特典インタビューが行われる。

      収録場所がアトランタになったのは、当時ベンジャミンがそこに住んでおり、癌がかなり進行していた彼の体調に配慮したからでした。 ギリギリであったとはいえ、5人がまた集まってくれたこと、それを世界中のファンも映像で共有できたこと、 何より(あまり公に言わないものの解散前から亀裂が入ってしまった)リックとベンがまた笑顔で会話をしたことが、 本当に良かったと思います。このインタビュー企画に関わった全ての人と応じた5人に、感謝してもしきれない思いです。

      インタビューの司会進行を務めたブレット・ミラノ氏の寄稿より (ベンジャミンの)状況の深刻さはすぐに明らかになった。ガールフレンドに付き添われたオールは痛々しいまでに痩せ、 車椅子に身を沈めていた。彼のバンドメイト全員が、彼らを再び集めさせた、差し迫った事態に対する後悔を口にした。 しかし、カメラが回ったとたん、バンドメンバーは再びそれぞれの昔の役回りに戻ったのだった(中略) そして、健康状態の悪化にもかかわらず、またもオールには生来のロックスターのクールさが溢れ出ていた。 [3]

      the cars image(2000)

    • 9月27日
      バンド Big People のライブがアラスカ州アンカレッジで行われるが、これがベンの最期のステージになってしまう。

      People誌の記事より オールはあまりに衰弱がひどく、80年代最大の名曲のひとつであり、彼が1984年にカーズで歌った印象深いヒットバラードを 歌うことが出来なかった。『Drive を飛ばしてくれ。』ベンは静かにバンドメンバーに言った。 『できない。』と。(Big Peopleの)ドラマー、リバティ・デヴィートはこう語る。 『俺達は皆で見合って、こう思った。"遂にきた"って。』[4]

    • 10月3日
      ベンジャミン・オール 膵臓ガンのため永眠 享年53

      ベンは3日の真夜中少し前に、アトランタの自宅で婚約者のジュリー・スナイダー、Big Peopleのメンバー、マネージャーなどに 看取られながら息を引き取ったそうです。当時カーズファンの情報網でもあったメーリングリスト(Frozen Fire)にも、 グレッグから知人を通していち早くベンの訃報が伝えられました。

      Benjamin Orr

    • Cars Live(DVD)
      10月24日
      DVD, VHSでThe Cars Live - recorded live on musikladen 1979 が北米でリリース

      数ヶ月遅れてワーナーより国内盤DVD「ライブ・イン・ブレーメン」もリリース。 1979年6月7日に放送されたドイツの音楽番組「ミュージックラーデン」でのスタジオライブ映像。実際の収録は1978年11月と思われます。 特典映像として、2ヶ月前の8月に収録されたメンバー5人のインタビューがたっぷりと入っています。 ある意味ベンジャミンの遺作とも言えるでしょう。

    • 11月10日
      ベンジャミンの追悼式が、オハイオ州クリーヴランドのRock&Roll Hall of Fame(ロックの殿堂) 小ホールにて行われる。

      親族を始め、カーズからはグレッグとデイヴィッド、Big People のメンバー、共に活動したJohn Kalishes、カーズ以前の バンドメンバーなど約150人が出席。ベンを弔うスピーチやスライドショーが行われ、プライベートな式ながらもロビーの モニターにその様子が流され、一般の人にも公開されたそうです。[5]

  • 2001年

    • 【エリオット・イーストンの動向】

    • エリオット、ジョン・カーペンター監督のSFホラー映画「Ghosts of Mars」のサントラにギターで参加。

      クレジットされているのは"Visions of earth", "Slashing Void", "Dismemberment Blues", "Pam Grier's Head" とのこと

    • 【グレッグ・ホークスの動向】

    • 倉木麻衣 'Perfect Crime'(2001)
      7月4日
      グレッグが編曲などに関わった倉木麻衣の2ndアルバム Perfect Crime(パーフェクト・クライム)が国内発売
    • 【リック・オケイセックの動向】

    • Weezer(2001)
      リックが再びプロデュースした、Weezerの「グリーン・アルバム」リリース。
    • No Doubt 'Rock Steady'(2001)
      リックがプロデュースに一部参加したNo Doubt のアルバム Rock Steady リリース

      "Don't Let Me Down", "Platinum Blonde Life" の2曲がリックによるプロデュース。

    • 11月11日
      リックは家族揃って、ニューヨークで行われた映画「ハリーポッターと賢者の石」プレミア上映に出席。

      バンド活動から離れたリックは、家族と過ごす時間も出来て良い「子育てお父さん」みたいですね。息子たちの可愛いこと!

  • 2002年

    • 1月22日
      グレッグがキーボードで参加した、倉木麻衣の全米1stアルバム SECRET OF MY HEART リリース。
    • Tribute to Aerosmith 'One Way Street'(2002)
      エリオット、エアロスミスのトリビュートアルバムOne Way Street に参加。 タイトル曲でギターを担当。

      同曲のメンバーは Jimmy Bain, Doug Pinnick, Gregg Bissonette とエリオット

    • エリオットがギターでピンクフロイドの曲 "Young Lust" トリビュートに参加。

      同曲のメンバーは Glenn Hughes, Tony Franklin, Ansley Dunbar とエリオット。このカバーは多数出ている ピンクフロイド・トリビュートものに大概収録されています。

  • 2003年

    • 3月10日
      リック、18th R&R Hall of Fame Induction Celemony(ロックの殿堂授賞式)のディナーに夫婦で出席。

      受賞には無関係ですが招待されるのでしょうね。ちなみに同年の受賞者はAC/DC、クラッシュ、ポリス、 エルヴィス・コステロ、ライチャス・ブラザーズでした。

    • 4月頃
      リック、カーズ時代に在籍したレコード会社 エレクトラのA&Rに就任

      「senior vice president」のA&Rです。エグゼクティヴですねぇ リック。

    • 7月9日
      グレッグが楽曲"Tonight I feel close to you"に関わった、 倉木麻衣の4thアルバム If I Believe が国内発売。
  • 2004年

    • 不確かだが、2004年から2005年頃にエリオットはCreedence Clearwater Revisited から脱退した模様。

      このトリビュートバンドのライブツアー大成功に影響を受け、きっとカーズの再結成とツアーを次なる活動の目標に したのではないでしょうか。

    • Le Tigre 'This Island'(2004)
      リック、NYのエレクトリック・パンク・グループ Le Tigre のアルバムThis Island プロデュースに一部参加。
  • 2005年

    • 3月14日
      リック、20th R&R Hall of Fame Induction Celemony(ロックの殿堂)のディナーに出席。

      この年の受賞者はU2、プリテンダーズ、オージェイズ、パーシー・スレッジ、バディ・ガイ等でした。

    • Killer Queen: A Tribute to Queen(2005)
      エリオットとグレッグ、QUEENのトリビュートアルバム Killer Queen に 収録の"Little Crazy Thing Called Love" に参加。ヴォーカルはジョシュ・ケリー。
    • リックが主宰するレーベルInverse labelが、Sanctuary Music Groupとレコード販売で契約。 [6]
    • リックがプロデュースしたPeter Dayton(La Pesteの元フロントマン)の ソロアルバム Peter Dayton がリリース。
    • Diving for Pearls 'TEXAS'(2005)
      エリオットが以前に組んだヴォーカリスト、ダニー・マローン在籍のロックグループ Diving for Pearls がデビューから 16年ぶりに2作目アルバムTEXAS をリリース。エリオットとダニーの共作で、Change No Change の ボーナストラックでもある"Lonely Is The Dark" と"Stop the World From Turning" が Diving for Pearlsバージョンで収録される。
    • LIVE 8(2005)
      7月2日
      世界各地で同時開催されたLIVE 8。カナダのステージにエリオットが、ラッパーDMCのバックバンドとして参加。

      DMCが披露した中には"Walk This Way" もあり、バックはエリオットの他にエアロスミスのジョーイ・クレイマー(dr)、 トム・ハミルトン(b)、バックチェリーのリードシンガー ジョシュ・トッド。 エアロスミス&ランDMC&カーズ&バックチェリーの融合と相成ったようです。

    • The Click Five(2005)
      8月
      エリオットがギターで参加したボストンの若手パワーポップバンド The Click Five の デビューアルバム Greetings from Imrie House がリリース。

      シングル曲"Angel To You(Devil To Me)" でソロを弾いているようです。 メンバーの多くがボストンのバークリー音楽院出身のバンド。

    • 8月・9月頃
      この辺りから、カーズ再結成のウワサ、トッド・ラングレンが絡んでいるらしいというウワサが出始める。
    • 9月
      リック、8年ぶりとなる6作目ソロアルバム NEXTERDAY リリース。

      Ric Ocasek 'NEXTERDAY'(2005)

      アルバムにはリックが長年の友 ベンジャミンに捧げたという楽曲 "Silver" が収録されています。

    • 9月29日
      リック、ニューヨークのCBGBでライブを行う。

      ライブリポートがローリングストーンにあります。50分ほどのショーはカーズの"Moving In Stereo" で幕をあけ、 新アルバム曲以外にカーズの曲も幾つも歌ったようです。10月10日にもマサチューセッツ州でライブを行った模様です。 [7]

    • 10月頃
      トッド・ラングレン、カシム・サルトンがLAに行って誰かと何やら打ち合わせしたらしいことがカシムのブログに載る。 その詳細はカシム曰く「内緒」であったが、これがのちのThe New Carsに関する打ち合わせであった模様。 [8]
    • 11月中旬
      エリオットとトッド・ラングレンが、一緒に新曲を作り始めているという記事が出る。
      トッド、カシム、エリオットはファンに向けてThe New Carsをやることをそれぞれコメントし始める。
    • 11月20日
      ビルボード誌にも、トッド・ラングレンがリック・オケイセックの代わりにThe New Carsに入り 2006年にツアーをする、というニュースが出る。 [9]

      この時点では、新アルバムリリースは「あるかも」のレベルで、トッド以外はブロンディのメンバーの加入が噂されていました。 ニュース記事は、過去のカーズメンバーの楽屋やリハーサルでの様子をまとめた映像集「UNLOCKED」をリックがリリース予定であることも 伝えています。

    • エリオット・イーストン(g)、グレッグ・ホークス(key)によるTHE NEW CARS の結成が固まる。 2人以外のメンバーは、トッド・ラングレン(vo,g)、カシム・サルトン(vo,b)、プレイリー・プリンス(dr)で決定。

      当初はカーズのオリジナルメンバー、デイヴィッド(dr)も含めエリオット、グレッグの3人が、 マネージメントの代理人を通じてリック・オケイセックに再結成を迫ったものの、リックが頑なに拒否。 デイヴィッドはこの話から降り[10]、リックはエリオット達に 「2人だけじゃカーズにはならない。でも、やりたければやればいい[11]。」という態度を取り。 結果、エリオットとグレッグは外部からメンバーを補ったThe New Carsの結成に至った様子。バンド名「The Cars」の使用は権利をもつ リックが、これまた頑なに譲らなかったみたいです。

      トッドの参加は、実のところリック自身がフロントマンとして「トッドなら良い」と提案したそうです [12]。 当時金銭的に苦境にいたトッドも、このプロジェクトは「儲かる」と口説かれて参加し、古くからの仲間カシムとプレイリーを引き連れてきたようです。 (結果はトッドも赤字なのですが...)


【脚注一覧】

  1. 2000年 ベンが癌で入院のニュース
    The Cars' Benjamin Orr Hospitalized(2000年5月24日付記事) : MTV.com
  2. 2000年 ライブ続行を望んだベン
    UPDATE: The Cars' Benjamin Orr Dead At 53(2000年10月4日付記事) : MTV.com
  3. 2000年 ブレット・ミラノ氏寄稿
    This just in ;In memoriam Ben Orr, 1947-2000 by Brett Milano(October 12-19,2000) : The Boston Phoenix.com
    インタビューの日本語訳はCarsファン annaさんのご協力です
  4. 2000年9月 ベン 最期のステージ
    Classic Car :(2000年10月23日付記事) : People.com
  5. 2000年11月 ベンの追悼式
    Friends and Bandmates Pay Tribute to Ben Orr :(2000年11月13日付記事) : RollingStone.com
  6. 2005年 リックのレーベルInverse
    ステイタス・クォーと元カーズのリック・オケイセックがSanctuaryと契約 :(2005年4月28日付記事) : CDジャーナル
  7. 2005年 リック NYのCBGBでライブ
    Ric Ocasek Rocks CBGB :(2005年9月30日付記事) : RollingStone.com
  8. 2005年10月 カシム・サルトンのブログ
    Do You Want To Know A Secret :(2005年10月17日付記事) : KASIM'S JOURNAL(カシム・サルトン本人のブログ)
  9. 2005年11月 ビルボード誌でのニュース
    Rundgren Steps In For Ocasek In New Cars :(2005年11月20日付記事) : Billboard.com
  10. 2005年 デイヴィッド再結成から降りる
    The Return of The Cars :(2011年8月25日付記事) : RollingStone India
    The Cars' Elliot Easton on band's comeback album, Move Like This :(2011年4月18日付記事) : MusicRader.com
  11. 2005年 リック「やりたきゃやれ」
    Out of the Garage: Ric Ocasek on Reuniting the Cars :(2011年2月17日付記事) : RollingStone.com
  12. 2005年 リックがトッドを指名した事情
    The New Carsの裏事情に関しては、ポール・マイヤーズ著、奥田祐士翻訳 『トッド・ラングレンのスタジオ黄金狂時代 魔法使いの創作技術 』 が詳しいです。
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